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受験の結果がすべてではない!

    皆さんこんにちは!政治経済学部2年学生スタッフのMです!

      

    今回は、私が大学受験を経験した中で感じたこと、そして中高時代に取り組んでいた吹奏楽との関わりが、どのように受験と重なっていたのかについてお伝えしたいと思います。

    少し重い話になるかもしれませんが、もしあなたが今、受験のプレッシャーに押しつぶされそうになっているのなら、少しでも参考になればうれしいです。

      

    ⚪︎受験のプレッシャー「一発勝負」に押しつぶされる気持ち

    私が受験に取り組んでいたとき、一番つらかったのは、自分の努力が一瞬で評価されてしまうことでした。毎日何時間も勉強して、問題集を繰り返し解き、模試の成績に一喜一憂しながら、「この努力が報われるはず」と信じていました。

    けれど結局、その成果は、たった数日間の試験で決まってしまいます。受験本番、数時間の試験がすべてを左右する。それまで積み重ねてきた何百時間もの努力が、あっという間に評価されるというプレッシャーは、想像以上に大きなものでした。

    もちろん、試験結果が良ければうれしいし、達成感もあります。でも、もしその瞬間に失敗してしまったら――あれだけ努力した意味は何だったのか、と思わずにはいられませんでした。

    受験が終わったあとに訪れたのは、合格の喜びだけでなく、「これがすべてだったのか……」という、虚しさや痛みでした。

         

    ⚪︎吹奏楽と受験の共通点

    受験の経験を振り返ると、実は吹奏楽で感じていたこととよく似ていると気づきました。私は中高時代、吹奏楽に打ち込んでいました。毎日の練習、演奏会やコンクールに向けた努力。けれど、その努力も、最終的にはたった数時間の演奏で評価されます。

    演奏がすべてを決める一瞬に、全力をかける。その瞬間は確かに美しく、やりがいのある時間でもあります。でも私にとっては、その美しさと同時に、心の奥に痛みを感じる瞬間でもありました。

    何百日、何千日と積み重ねてきた練習が、わずかな舞台時間で評価されてしまう。素晴らしい成果が生まれる場であると同時に、私にとっては「心の負担」として感じられることもあったのです。

    だからこそ、大学に入った今、私は吹奏楽には参加しませんでした。きっと心のどこかで、「一発勝負」のプレッシャーから少し距離を置きたかったのだと思います。

        

    ⚪︎努力の過程には価値がある

    とはいえ、どれほど短い本番のためであっても、吹奏楽の練習も、受験勉強も、その過程には必ず意味があると、私は今感じています。試験や演奏の結果だけに価値を見出すのではなく、その努力の過程自体が、自分を確実に成長させていたのだと思います。

    受験でも、吹奏楽でも、努力してきた時間が無駄になることは決してありません。むしろ、その積み重ねこそが、「その瞬間」に自分を支えてくれるのです。

    結局、試験や演奏の結果は、一つの通過点に過ぎません。
    その結果がどうであれ、過程で得られたもの──忍耐力や集中力、仲間との協力の大切さ──は、その後の人生にきっと活きていくはずです。

      

    ⚪︎受験生や高校生へ

    私の経験から伝えたいこと。それは、一発勝負の評価がすべてではないということです。

    受験が終わり、大学生活が始まったとき、私はその「瞬間にかかるプレッシャー」から解放される感覚を、はじめて知りました。もちろん、大学生活にも別のプレッシャーはありますが、受験のように短期間で全てが決まることはほとんどありません。

    だからこそ、受験期や部活に取り組む中で、どうか自分の心を大切にしてください。結果を気にしすぎず、真摯にその過程に向き合うことが、後々の自分を強くしてくれます。

    そして、もしもその努力の結果が思うようにいかなかったとしても、それがあなたの価値を決めるわけではないと、私は信じています。だからこそ、今できることを丁寧に続けていくことが、何より大切なのだと思います。

      

    ⚪︎終わりに

    受験の経験や、部活での思い出を振り返ると、確かに「痛み」を感じる瞬間はたくさんありました。けれど、それを乗り越えた今、私はそのすべての経験を、大切なものとして受け止めています。

    もしあなたが今、受験や部活のプレッシャーに押しつぶされそうになっているなら、ほんの少しでも、自分をいたわる気持ちを持ってください。

    その努力は、必ずあなたの中で、静かで確かな力に変わっていきます。